【意欲ある若者を救うために?給付型奨学金の課題は?】

 大学に進学したいのに経済的な理由であきらめる若者を支援しようと、現在、返済する必要のない“給付型”の奨学金制度の導入が検討されています。

 わたしも、先日、『文教科学委員会』で質問に立ちました。

 なぜ必要なのか、そして、どのような制度にしたらよいのか考えてみたいと思います。

 

【なぜ給付型の奨学金が必要に?】

 そもそも、給付型の奨学金制度がないのは、主な国の中では日本とアイスランドだけです。

 これまで日本では、奨学金と言えば、社会人になってから返済する貸与型でした。

 それが、大学を卒業した後も、非正規雇用などで安定収入を得られず、返済に苦しむ人が多くなりました。

 さらに、返済の負担が重いのならば、そもそも借金をしてまで大学に行きたいとは思わない人も増えてきました。

 こうした経済的な理由で、大学進学をあきらめる若者は年間数万人にも上るとみられています。

 これは、教育の機会均等を保障し、社会の格差を食い止めるうえで看過できない問題で、給付型奨学金の必要性がクローズアップされるようになってきたわけです。

【検討されている中身は】

 政府は、ことし8月、「新年度(2017年度)の予算編成を通じて制度内容について結論を得て、実現する」とする閣議決定をし、給付型奨学金の導入が政府の方針になりました。

 これを受け、文部科学省では、現在、有識者からなる検討チームで具体的な制度設計を進めています。

 難しいポイントは、対象となる学生を選ぶ際の基準です。

 主な基準は、『家計の所得』と、『本人の学力』になります。
 このうち家計所得で言えば、例えば、
   ▽児童養護施設の退所者や、里親出身者に限定すれば2千人、
   ▽生活保護世帯ならば1.5万人、
   ▽住民税の非課税世帯ならば14.2万人などとなります。

 すなわち、どこまで広げるかによって、規模が万単位で大きく変わってくるのです。

 そして、学力の基準。
現在、検討されているのは、“各高校での在籍時の評価”です。
これに対しては異論も出ています。

例えば、
『学力の低い高校なら簡単に高い評定をもらえるので不公平』
『統一の選抜試験による客観的な指標で行うべきだ』など。

 こうした意見はもっともなのですが、選別試験になれば、当然、優秀な人だけになります。

 今の社会では、それが所得のある世帯の子どもになってしまう、すなわち「格差社会」であり「貧困の連鎖」です。

 そもそも給付型奨学金の導入の目的は、低所得の家庭でも、成績が悪くても、勉強をしたいと思っている若者を救うことです。

 もちろん税金を使うので納税者に納得してもらえる制度にしなくてはいけません。

 こうした点も考慮しながら、選定基準を決めないといけないのです。

【最大の課題は財源確保】

 そして、最大の課題はもちろん“財源の確保”です。

 例えば、先ほど述べた“住民税の非課税世帯14.2万人”を対象に、一人あたり年間50万円ずつ給付すると仮定すると、およそ700億円が必要になる計算です。

 国の財政状況が厳しいなか、この額を難しいとみるか、可能だとみるかは意見の分かれるところです。

 でも、国は、ことし、低所得者のお年寄りを対象に『臨時福祉給付金』として3685億円を給付しました。給付型奨学金は、この『臨時福祉給付金』の事業費の5分の1以下で、可能になるのです。

 お年寄りへの対策はもちろん大切ですが、将来を担う若い人たちにも、ぜひ、相応の配分をしてほしいと思います。

【未来への投資を】

 先月、OECDが加盟国各国におけるGDPに占める教育機関への公的支出の割合を公表しました。日本は3.2%で33か国中32位。6年続いた最下位は免れたものの、相変わらずです。

 このため、日本は教育にかかる家庭負担が極端に高くなり、大学の進学率は、▽アメリカの71%、▽韓国の68%に対し、▽日本は平均以下の52%と、いつのまにか低学歴の国になってしまいました。

 ぜひ、給付型奨学金の導入で、こうしたデータを変えていってほしいと思います。

 ことし中には、文科省の検討チームによる報告がまとまる予定です。

 多くの若者を対象に、頑張れば、皆が手に届くような制度にしてほしいと思います。手に届くような制度になれば頑張る気持ちも出てくるからです。

 くれぐれも制度のスタートありきで、部分的に、一部の人だけを対象にした制度にはしてほしくないと思います。