01.17
2022
【あの日から27年】
きょう17日は、6400人余りが亡くなった『阪神・淡路大震災』から27年になります。
例年、この日は、地元・神戸で静かに過ごすのですが、ことしは、国会召集日と重なったため、私は東京にいます。
代わりに、秘書やスタッフが「追悼式典」や「追悼法要」に代理出席する予定で、私は、東京の家で、発災時刻の午前5時46分に起きて、兵庫の方を向いて黙とうを捧げました。
《途方に暮れた思い》
27年前を振り返ると、私は、NHKの新米記者でしたが、被災現場に入ったときの驚きは忘れられません。
見渡すかぎり、すべてが被災している状況で、何から取材を始めたらよいのか分からず、途方に暮れた覚えがあります。
被災者の声に耳を傾けながら、記事にしていきましたが、そのときの思いが、政治家としての礎にもなっています。
《復興したが課題も》
そのとき記事にした復興への想いは、少しずつ実現されてきたと思います。
その一方で、風化が進んだり、街の活力やにぎわいが低下するなど、課題は、まだまだ残っていると思います。
ことしは、神戸・中央区の公園で、犠牲者を追悼する5000本の竹と紙の灯籠が、「忘」の漢字と、「1.17」の数字の形に並べられました。
文字には、「震災を忘れずに」といった思いが込められています。
《震災乗り越えた兵庫だから》
今も、コロナのオミクロン株が猛威を奮っています。
『コロナ禍』は大災害にも匹敵すると思いますが、阪神・淡路大震災を乗り越えてきた兵庫、そして、日本だからこそ、必ず、この難局を克服できると思います。
きょうから国会が始まり、コロナ対策をはじめ、さまざまな議論が行われる予定です。
すべての人にとって、安心で安全な社会を作っていく、その思いを忘れずに取り組んでいきたいと思います。